20周年特別企画

ワクワク ! 創業ストーリー
1962

「ワクワクメール」を作った男は、鹿児島で生まれた。

「ワクワクメール」を作った男は、鹿児島で生まれた。
決して経済的に余裕のある少年時代ではなかった。
母子家庭で育ち、いつも長時間一人で留守番をしていた。

楽しみは、台風だった。台風がもたらしたいつもと違う景色を見て心を躍らせた。
それは退屈な日常から飛び出す感動を求める原体験となった。
高校を出て進学した19の時にはアルバイトを4つ掛け持ちし、朝から晩まで働く毎日。
自分でお金を稼ぐ面白さを知った。大学を中退し、会社勤めをすることなく様々な商売をやってきた。お金に縛られた子供時代と違い、自分の力でどこでもいける。お金は、男を自由な気持ちにさせてくれた。稼いだお金を新しい商売に投資してもっと稼ごうと、夢中になって仕事した。世の中のいいものに対しての好奇心でいっぱいだった。
ただひたすらに、高みに登りたかった。

1992

必死に仕事をして来て、やっと一息ついた頃には30歳になっていた。

将来の不安を払拭しようと必死に仕事をして来て、やっと一息ついた頃には30歳になっていた。周りを見渡せば、女性との出会いで人生を楽しむ人たちがいる。羨ましくなるが、異性を面と向かって口説けないシャイな性格がどうしても邪魔をした。

「シャイで奥手な自分でも、素敵な異性と出会える。」

そんな都合の良いサービスが…あった。「電話によるマッチングサービス」だ。 会話を通じて知らない異性と出会うこのサービスで男はそこで成功体験を収め、 その感動が男の人生を変えた。

「出会いを求める男女が集まるこのサービスなら、面と向かって異性を口説けない自分のようなシャイな人間でも、楽しい出会いを作ることができる!」
自らがユーザーとしてハマり、人間の本能を刺激するこのビジネスを自分もやってみたいと思った。大きな可能性を感じながら、電話によるマッチングサービスの商売を始めた。

そして携帯電話から直接インターネットにつながる時代が到来し、男のビジネスも大きく進化した。鹿児島にいながら日本中にサービスを届けられる。出会いの在り方が変わった瞬間。まさに革命である。
男が目指したのは、「目が覚めるような感動」をお客様に届けること。現実の中で出会いが生まれた時のような心高鳴るワクワクを、サイトの中で作りたい。その気持ちを込めて『ワクワクメール』というサービスを名付けた。

2011

「ワクワクメール」はユーザー数で業界トップに登りつめた。

携帯さえ持っていれば、誰でもインターネットにつながって、望む相手との出会いを探すことができた。サービス開始からまたたく間にサービスは拡大し、2011年、ワクワクメールはユーザー数で業界トップに登りつめた。台風が好きだった鹿児島の少年は、業界の真ん中に躍り出たリーダーとして、台風の目となった。

男の商売経験の中で、得た確信がある。
商売とは「信頼」だ。
ワクワクメールに来ればいつも楽しいことがある。
お客様にそう思ってもらえることこそがワクワクメールへの信頼であり、
その信頼を守るために常に進化する使命がある。

沖縄と北海道の人がサイト上でつながり、お互いの今日の天気の話をしている。
そうした幸福な光景は、インターネットによって生まれた最も善きものの一つなのかもしれない。あるお客様はワクワクメールについてこう語った。
「人間の出逢いの欲求を満たしてくれる、本音の部分を助けてくれるいいサイトです。
人のことをよくわかってないとこの事業は続けていけないと思います。」 この言葉を聞いた時、じんわりとした感動が胸に広がった。

2020

「ワクワクメール」は今年20年目を迎える

ワクワクメールは今年20年目を迎える。
20年という長い年月をお客様に使い続けてもらえたのは、人の本音に向き合い、出会いから生まれる「感動」を作っていく方程式が、ずっと男に見えていた結果なのかもしれない。その方程式を誰よりも純粋に追求したのは、他ならない男だった。
そして、方程式はワクワクメールのビジョンとして男から社員に受け継がれ、
ワクワクメールはこれからも、目の覚める様な感動を創り続けていく。